銀座から新橋へと続く歓楽街のコリドー街。
そこでは、エリートサラリーマンの猛者たちが綺麗な女性を巡り、ナンパ戦争を繰り広げている。
夜のイメージが強いコリドー街だが、ここにやってくる人々は昼間も熾烈なドラマがある。
この話の主人公「翔(ショウ)」も、この街で生きる独身男子。
長野生まれで東京の有名大学院を卒業、大手総合商社に勤めて6年目になる。
額面での給料は目標だった1,000万を超え、合コンに行けばチヤホヤされる存在。
順風満帆に見えた人生だったが、ある日を境に変化する。
仕事も遊びもこなれてきた30歳男性が味わった、ほろ苦いターニングポイントとは?
新卒で入社した大手総合商社。
「 翔は凄いね!」
「総合商社に受かるってやっぱお前はさすがだな~」
内定が決まった当時、大学院の仲間たちからはチヤホヤされ、嬉しかったことを覚えている。
「そんなことないよ。入ってからが勝負だからさ」
落ち着いたトーンで言葉を返しながらも、実際はまんざらでもなかった。正直なところ、自分は人生勝ち組だと思っていたほどだ。
そんな総合商社での生活は「仕事半分、飲み半分」と言われるほど、飲み会が多かった。
別の総合商社に勤める同じ大学院の先輩から「上司からの飲みは絶対断るな!仕事と同じように頑張れ」とアドバイスを受けていたのもあり、飲みの席は必須参加。
返事は全て「はい!」で、毎晩飲み歩いた。
入社前の翔は、商社マンにバリバリと遅くまで働いているイメージを抱いていたため、実際の生活との違いにギャップを感じることもあった。だが、学生生活の延長のような飲み会の楽しさもあり、その気持ちも沸いては消えていった。
「翔を飲み会に呼ぶと面白い」と上司からも気に入られ、評価も上がった。
飲みの席には度々、同期の「良(りょう)」がいた。良は唯一、同じ大学院を卒業してこの会社に入った翔の友人だった。
友人とはいえその性格は全く異なり、良は違和感を覚えると相手に関わらず、スパッと言葉に出してしまうタイプ。先輩に飲み会に呼ばれると「それ、行く必要ありますか?」と言ってしまうのだ。
入社してすぐ、先輩から「あいつは新卒のくせに生意気だ」との評判が聞こえてくるようになっていた。
飲み会だらけの毎日が、3年ほど続いた。
ある休日、翔は良から大学院時代に通っていたカフェへと呼び出された。
社内で顔を合わせることはあるが、今はそれぞれの部署が変わってしまい、良と二人きりで会うのは実に2年ぶりのことだった。久々の誘いは、翔にとって少し嬉しくもあった。
5分ほど遅れて到着すると、すでに良は到着していた。
「よお、元気か?」
翔が声をかけたが、良の顔が少し暗いようだった。
「どうした?なにかあったのか?」
実は、翔には心当たりがあった。
良の性格もあり、上司のプロジェクト案に対して強い意見を言ったことで、会社での人間関係が悪くなっていると社内の噂で聞いたのだ。商社はとても上下関係に厳しく、上司への意見は最大限の注意を払わないとならない。
ようやく、良が重い口を開けた。
「俺、会社辞めるわ」
「おい……!どうしたんだ?」
落ち着いて言葉を返そうと思った翔だが、反射的に大きな声が出てしまった。正直、辞めるまでとは思っていなかったのだ。
良は一度口にすると、意見を変えることは殆どない。
訳を聞いてみると、
「クライアントのためを思い正しい意見を言えば言うほど、上司からの当たりが強くなりやりたいことができない」
「飲み会に参加しないと、上司に企画を実行する承認を貰えない」
「会議で無視され続ける」
などがあったという。
話を聞いた上で
「理解はできるが、待遇もいいのに勿体ないぞ。他の会社で、こんなに給料も貰えるところもないし。それに言いたいことを少し我慢すれば、収まることだろう」
と、翔は言葉を返した。
「俺だってそういうことはあるが、我慢してきたんだ。もう少し我慢すれば、課長だぞ?」
翔にとってこれは当たり前のことで、心の中で「もっと上手くやれよ。社会人としてはまだまだ子供だな、良は」と思っていた。
それに対し、いつも冷静な良が珍しく声を荒げた。
「そこに違和感があるんだ!俺たちは、誰のために働いているんだ?少なくとも、今の部署のメンバーは、上司のご機嫌を伺うために仕事をしている。俺は上司のためじゃなく、多くの人のために大きな事業を作りたいからこそ、商社マンになったんだ!確かに、給料はいい。でも、そんなことよりもやりたいことがある。そう感じないか?そうでなければ、お前は誰のために働いているんだ?」
その言葉に、自分の心が少し震えていることに気づく翔。
飲み会だらけの毎日に違和感を感じる瞬間や、上司のご機嫌のために嫌なことでも「はい」と返事をしないといけないことが多々あったのは、事実だった。
だが、仕事は楽しいことが全てではないと教えこまれ、これをやり抜くことが社会人で成功するための努力の仕方と信じてやってきたのだ。
良の発言が正しいことは、翔にもよくわかっていた。むしろ、これまで必死に押し隠してきた気持ちだ。だが、それを認めてしまうことはこれまでの自らの努力を否定することでもあった。
気づけば30分ほどの口論になり、その日は解散した。
その数日後、良が退職したことを翔は知る。
さらに、3年が過ぎた。良と揉めたあの日も、翔にとってはいつしか懐かしい思い出になっていた。
30歳にもなると、周りと明確に差が開いてくる。プロジェクトを任されるされる同期も出てきた。
翔はといえば、平均よりも上程度の評価。大学院まで殆どをトップの成績を収めてきた自分にとっては、この結果は苦しいものだった。毎日の飲み会で上司のご機嫌取りを必死に続けてきたものの、これ以上昇進を早くする術が見当たらなくなっていた。
このままいくと、何歳でどの程度の立場になれるのか、すでに翔にもなんとなくわかっている。そして、その立場にどうしてもなりたいかと考えてみるが、実はそうでもない。
何度か転職も考えた翔だが、年収が下がるリスクを鑑みると、実行には移せないまま。
そうやって、何も変わらない平凡な日々が続いていた。
「XXXX株式会社、大型資金調達。若干30歳CEOが20億円を調達」
起き抜けにニュースサイトを見ると、翔の目にこんなタイトルが飛び込んできた。
「世の中には、同じ年で凄いやつもいるもんだ」
資金調達20億円といえば、従業員も100人近い規模である。記事を読み進めると、そこには見知った良の顔が写っていた。
「……!」
バッとベットから飛び降り、思わず立ち上がった翔。何が起きているかわからなかった。
食い入るように、記事を読み続ける。
記事には、良が商社を辞めてから現在までの創業ストーリーが書かれていた。
・商社を辞め、ボロアパートからのスタート
・創業メンバーとの喧嘩
・初受注時の喜び
・投資家に支えられたこと
・なによりも、今ともに事業を作る100人近い社員の仲間
ドクドク……。
自分の心臓の鼓動が強くなるのを感じ、胃がきゅっと縮む翔。暑くもないのに汗が滴り落ちた。
翔を現実に引き戻すように、携帯が鳴る。同期LINEグループのメッセージだった。
「良が凄いことになっている……!」
鳴りやまない通知。この記事の噂が同期にも流れていた。
記事の締めくくりには、「商社を辞める時は正直、悩みました。だけどやりたいコトを信じ、勇気を持って挑戦できたので今があると思っています!皆さんも、自分の人生を生きて下さい!」
読み終えた翔の目には、涙が溢れていた。
「なぜ、3年前まで近くにいたあいつが……」
あまりの自分との立場の差を感じ、息が詰まる翔。
これは悔しさなのか、羨ましさなのか……。翔自身にもわからない感情だった。
口論になったあの日の出来事が、不意に翔の頭に蘇った。
「お前は、誰のために働いているのか?」
あの日、良が言った通りだった……。今なら、あいつの言葉を理解することができる。翔は心からそう思った。
涙が出るほどの良に対する気持ちは、羨ましさや悔しさ、能力の優劣だとかの話ではない。
やりたいことのために踏み出すことを避けてきた、翔自身の「生き方」に対してのものだった。
少なくとも、大学院まではもっと自らのやりたいことに向き合えていたと思い出す翔。
だが、社会人になってからというもの、上司や同僚からの反発を恐れ、知らず知らずのうちに、挑戦する人生でなく失敗しない人生を歩んでしまっていたのだ。
これは自分の人生でなく、他人の目を意識した人生だ。翔は、そう理解した。
「俺も、良みたいに自分の人生を生きたい……」
CEOという肩書も羨ましくはあるが、何よりも良が生き生きとやりたいことに向き合っていることこそ、翔には羨ましく感じた。その日は、一日中泣いて過ごした。
その翌週から、翔は飲み会への参加をやめた。当然、上司からの当たりが強くなるのは感じたが、それはもはや翔にとってどうでもよいことだった。
だか、すぐにやりたいことを実現できる環境に変わるわけではない。
まずは、できることから。
最近の翔は、休日に他の会社を手伝っている。そこでは上司もなく、人のためにも働かず、スキルアップとやりたい「コト」のために動くことができ、何よりも楽しいと感じている。
平日の仕事は我慢、休日の仕事が生きがいだ。
かつて絶対に失いたくないと思っていた立場や環境も、一歩踏み出した翔にとっては「自分は何に囚われていたんだろう」という程度のものだった。
だが、今の翔だから言えることだ。渦中にいれば、そうは思えないことも十分に理解している。
「一歩踏み出すことは難しいが、踏み出すのは自分でしかできない。誰もやってくれるわけではないのだから。」
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読んで頂きありがとうございました。もし、これを読んでくれた方で、この話に思い当たる環境があれば、まずは一歩を踏み出してみましょう。なんでもいい、とても簡単なことから。
ただし、それは「ヒト」のためじゃなく、何かやりたい「コト」のために。