GOB Incubation Partners株式会社
CFO 村上 茂久
人生100年時代、新たな働き方を選択する人々
リンダ・グラットンの書籍『LIEF SHIFT―100年時代の人生戦略』がベストセラーとなって、そのムーブメントは日本にも広がり、厚生労働省は2017年9月より、「人生100年時代構想会議」を開催している。
同じく厚生労働省が2019年7月30日に公表した簡易生命表によると、2018年時点の日本人の平均寿命は女性が87.32歳、男性が81.25歳。内閣府公表の高齢社会白書「平均寿命の将来推計」でも、平均寿命は今後も伸び続け、2060年には男性は84.19歳に、女性は90.93歳になると予想されている。人生100年時代がそれほど遠い未来の話ではないと理解するには、十分なデータである。
そんな時代の到来を前に、従来の働き方を脱し、新たなキャリアへと一歩踏み出す人々が増えている。
今回お話を伺ったのは、村上茂久さん。現在、GOB Incubation Partners株式会社(以下、GOB)で取締役兼CFOを務める傍ら、“スポットCFO”として複数社のスタートアップ企業の支援に奔走している。
昨年9月からパラレルキャリアを実践する村上さんだが、それ以前は新卒で新生銀行へ入行以来12年以上、銀行員ひと筋だった。大企業の正社員ポジションを手にしていた彼がなぜ、これほど大胆なキャリアチェンジに踏み切ったのだろうか。

理論と実務の架け橋を目指したが……
学生時代に金融に興味を持った村上さんは、研究者を目指して大学院で学んだが、実務にも触れてみたいという思いの芽生えから、2006年に新生銀行へ入行。証券化の実務を経験した後、リーマンショックが起こり、不良債権投資の部署へ異動。
卒業論文や修士論文のテーマであった「証券化」「不良債権」に実務で取り組めたのは、非常にエキサイティングな経験だったというが、銀行での経験は村上さんに理論と実務の乖離を感じさせることも多かった。
「学者の提言は多くの場合、現場にまで落ちてこないのが実情です。リーマンショックのような出来事が起きてなお、変わることはありませんでした。理論と実務の架け橋になりたい気持ちが強くなり、経済や金融の理論を一から学び直そうと考えました」
村上さんはそんな思いから、自身で勉強会を開いたり、NPO法人 二枚目の名刺に参加したりと、社外での活動をスタートさせた。
「2012年前後は本業をしながら、プロボノをやるのが最先端のような風潮がありましたよね。私も社外活動により、充実した日々を送っていました」
その勢いは加速度を増し、2011年2月20日には、村上さんは妻の由貴子さんとともに「未来の金融をデザインする」をミッションにした任意団体Financial Education & Design(FED)を設立した(前身となる勉強会を開始したのは2009年)。以来、村上さんはFEDの事務局長として、前身となる勉強会を含め、過去10年間で累計250回以上の金融や経済に関する勉強会、学者・経営者・翻訳者・エコノミストらを招いたセミナーを開催しているほどだ。

受け皿が一社しかない“隠れキリシタン”の苦悩
精力的に活動する一方で、社外で学んだことを会社に還元できないもどかしさも感じていた村上さん。本業へ生かそうと考えたことはもちろんあったが、そこに立ちはだかったのは「銀行員はこうあるべき」という偶像と、ひっそりと社外活動に取り組んでいる“隠れキリシタン”への迫害だった。
「業界特有の空気があり、禁止されているわけではありませんでしたが、自由な発信を憚られました。当時は、私もSNSへの投稿を自主的に制限していたほどです」
また、村上さんのように所属する組織の枠を越え、社外に学びの場を求める「越境学習」に対する風当たりも強かった。
「パラレルキャリア、越境学習の専門家である法政大学大学院の石山恒貴教授も“隠れキリシタン”と呼んでいるように、社外活動に取り組むことで本業から逃げていると“迫害”されてしまい、社内で生かすどころか、コソコソと水面下で活動している人が多いのが現実です。
銀行業界は、何よりも目の前のことをやるべきだという世界。理論と実務の架け橋になるなど、ほど遠いことのように感じました」
とはいえ、その時点では銀行を辞める考えには至っていなかった村上さん。
「行内に学びを還元することは難しくても、社外活動自体の充実感は感じていました。また、当時から担当していたプロジェクトファイナンス業務は、マーケットが伸びている最中で大変なやり甲斐がありました。転職活動をしたこともありましたが、リスクを取って行動に移そうとまでは考えていませんでした」

キャリアを変えたトリガーは、自身による論文だった
そんな状況を一変したのが、2017年1月に提出した自身の論文だった。
それ以前から、夫人からの勧めで知ったみずほ学術振興財団の懸賞論文に応募していた村上さん。累計7回の提出のうち、3回の入賞に輝いている。
年齢制限により最後の応募となったのが、2017年1月。
「執筆のため、財政について改めて一から勉強しました。その結果、日本の社会保障制度を維持するためには、『パラレルキャリア』と『定年制度の年齢の引き下げ』という策が重要という結論に。加えて、学びは社会へ還元されるべきですし、書いた当人はそれを実践しなければならないと思いました」
論文提出から一年半後、村上さんは「理論と実務」を体現するため銀行を飛び出すこととなる。

人生を自分でコントロールできないことの厳しさ
もちろん、転機のきっかけを生んだのは論文だけではない。
そのひとつが、メガバンクにおける“53歳定年説”である。53歳までに役員になっていない者は出向、その一年後には転籍になるのが一般的だといわれる。
配置転換により、それまでの経験とは全く異なる仕事に就くことになった40〜50代の先輩社員の姿を、村上さんは実際にその目で見てきた。
「外部環境に自分の人生をコントロールされてしまう、その厳しさを痛感しました。人生100年時代で考えれば、53歳はまだ折り返し地点です。その後の人生をどうするのか。面談で管理職の上司からキャリアについて問われたとき、『あなたこそ、どう考えているのか』と素朴に疑問をぶつけたくなることさえありました」
また、新生銀行での最後の5年間に取り組んだプロジェクトファナンス業務に対し、村上さんの中でやりきったという実感が沸いたことも理由のひとつとなった。
上司から強く引き止められ、直前まで退職は伏せた状態で役員プレゼンにも臨んでもなお、村上さんの決意は揺るがず、銀行業界から新たな道へと進んでいった。

複数社で仕事するスポットCFOの意義は「学びを社会へ還元すること」
論文提出から退職までの一年半、村上さんは中小企業診断士の勉強に取り組んだり、退職の数か月前からは一般社団法人Work Design Labに参加してプロボノ活動をスタートさせたり、フリーランスとしての準備に取り組んだ。
そして、飛び込んだベンチャー業界。現在、GOB以外にもスポットCFOとして、スタートアップ企業や地方の歯科医院などの支援に携わり、多忙な日々を送っている。
「銀行員を辞め、フリーで働くようになったら時間ができると思っていたのですが、予想に反して多忙です。こんなに需要があるなんて、嬉しい誤算ですね」と笑う村上さん。
「同じ金融と言えども、医療法人の財務やスタートアップの資金調達など、銀行時代とは全く畑違いの領域に取り組んでいます。今はスタートアップ支援のためのキャッチアップに多くの時間を使っています。フリーランスとしての修行期間ですね」
そういった苦労はありつつも、今はモヤモヤがゼロになったと晴れやかに語る村上さん。
「テクノロジーによって世の中の働き方が急速に変わっているのに対し、銀行業界の働き方はそれほど変わってはいません。あのまま銀行に留まっていたら、きっとモヤモヤしていただろうと思います」
銀行業界も時差勤務、在宅勤務、そして副業解禁などの働き方改革に取り組んでいるといわれる昨今だが、「実際に行使できるかといえば、それは別の問題です。“銀行員としてこうあるべき”という思考が、すべてのストッパーになってしまいます。実際に副業している人もほとんどいませんでした」と語る。
そして、村上さんにとって最も大きかったのが「社外活動での学びを社内で活かせない」というストレスからの訣別だ。
「学びを還元する受け皿が一社しかない場合、“迫害”を受けてしまえば、一発でアウトです。しかし、複数社を受け持つことでそのリスクから逃れ、社会への還元というより大きな枠組みで考えられるようになりました。やはり、学びは社会に還元すべきものです」

辞めるリスク、留まるリスク
ここまで大手企業からスタートアップ業界への華麗なる転身について伺ったが、村上さんはリスクを感じなかったのだろうか。
「仕事を辞めるリスクは、ふたつしかないんですよ」と話す村上さん。それは「年収が下がること」と「失敗したら周囲に笑われること」というのが、彼の説である。
「周りを見てみれば、起業家がたくさんいます。彼ら彼女らが取っているリスクと比べたら、大したことはないと思いましたし、実際のところ、辞めるリスクは非常に限定的。年収が下がるのを受け入れる代わりに、手にできるメリットは無限に広がります。これは、金融取引におけるオプション理論でいうところの“コールオプションの買い”』と同様ですね」(※オプション理論については、こちらの記事で詳しく紹介しています)
この理論でいくと、彼が大手企業に留まっていた場合は、”プットオプションの売り”にあたる。一定の良い報酬をもらう代わりに、大きく上振れする可能性は低い。また、外部環境によって自身の人生が激変するリスクも孕んでいる。
辞めるリスクにばかり目が向いてしまうものだが、留まる場合のリスクにもしっかりと注意を払うべきなのだ。
しかし、キャリアチェンジについてモヤモヤと思い悩む人たちがそれを冷静に考えられるかといえば、それはきっと至難の業である。
どうすれば、辞めることのリスクが限定的であると実感できるのかと村上さんに問うと、「残っていることに価値があると思うのは、離れたら失ってしまうと考えるからです」と返ってきた。
「失敗したら戻ればいい。そう思えるのであれば、辞めることはリスクではなくなります。外へ出れば、マーケットニーズと自身の能力との乖離に気づくこともできます」
自らの胸に手を当て失敗してもいいと思えたあなたは、すぐに行動を起こしてみよう。村上さんのように、予想だにしなかった新しい未来が、その手で掴み取れるかもしれない。